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東西文明の十字路 Turkey
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八 木 禧 明 & 公 子
飛んでイスタンブール帰れないのがルール・・・やイスタンブール&コンスタンチノーブル・・・と、その昔歌があったようにイスタンブールは古代その名前をコンスタンチノーブルと呼んでいた時があった。
黒海からボスフォラス海峡を経てマルマラ海〜ダーダネルス海峡〜エーゲ海へと繋がっている。
トルコにはこのシルクロードキャラバンの隊商宿が数多くある。トルコ語でマルマラは大理石=マーブルが多いの意、ギリシャ語ではメルメンという。
アジア大陸とヨーロッパ大陸との接点がトルコのイスタンブールである。
しかし今イスタンブールは首都ではない。
1923年からアンカラがトルコの首都になった。アンカラはローマ時代(ヘレニズム時代)にケルト人がトルコを支配時にこのアンカラが首都であったことがある。
アンカラはイカリを意味しており小アジアで、アンギュア=アンゴラ=アンカラ=アンカー
この東のアジア大陸のマルマラ海から太陽がのぼり西のヨーロッパ大陸に日が沈む・・・ということからこのイスタンブールが世界の中心地であると考えられていた。
きのこ巨岩群のあるCAPPADOCIA=カッパドキアはハサン火山とエルジェス火山(今は休火山)の大噴火によってできた凝灰岩が風雨による侵食によって洗い流されてできたものである。
ここには10,000年前に描かれた壁画がいまも残っているとか。
ここでは、11〜12世紀になってここに住み着いた壁画の画家が、キリストの修道僧と共に多くの洞窟と壁画を残した。
また、イスラムほかからの侵略から逃れるために、この火山岩の凝灰岩をくり抜き実に8階建ての建物に匹敵する程の地下都市が作られた。
その後これらギリシャ系住民である壁画の画家の多くがイタリアに移住して、これが14世紀にひらかれたルネッサンス美術に多大の影響を与えた。
とにかくカッパドキア地方のなかでもこのギョレメの巨岩群は私達を圧倒させます。デジカメ気まぐれ旅日記 turkey トルコ編
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