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チュニジア
の
世界遺産
を訪ねて
その1
チュニスからザグーアンのローマ水道そして世界遺産ドゥッガのローマ遺跡
そしてケロアンの世界遺産アグラブ朝の貯水地とメディナ(旧市街)
チュニジア共和国 Republic of Tunisia
チュニジアは、アフリカ大陸の北端中央部に位置し、その前はは地中海、80km北に行くとイタリアのシチリア島である。西側にははアルジェ
リア、東側はリビアと国境を接している。日本からの距離は直線にして約10,000kmと少しくらい?。緯度的には日本の福島と同じくらいのと
ころにあります。しかしサハラ砂漠に接しているために朝晩はそこそこ冷え込みます。
関西国際空港からイタリアのミラノマルペンサ空港までは9,628kmあり12時間40分かかります。
ミラノからはチュニスまで1,000kmくらいで約1時間40分のフライトである。
チュニスでホテルへのチェックインは夜中の1時ころでした。
チュニジアの概要
1.面 積 16万4,154km2(日本のほぼ40%)
2.人 口 約1,000万人(2004年)
3.首 都 チュニス(人口約200万人)
4.人 種 アラブ人(98%)、その他(2%)
5.言 語 アラビア語(公用語)、フランス語
6.宗 教 イスラム教スンニ派がほとんど
7.時 差 日本より8時間遅れである。
略 史
紀元前9世紀より都市国家カルタゴとして盛えた
146年 ローマ帝国征服
7世紀 アラブ侵入
1574年 オスマン帝国の属州に
1881年 フランス保護領
1956年3月 フランスより独立、1957年共和制移行
1987年11月 ベン・アリ現大統領就任
1999年10月 ベン・アリ大統領再選
2004年10月 ベン・アリ大統領再選
インターネットのチュニジア情報によると、
(1)チュニジアは温暖な気候に恵まれ、伝統的に盛んな農業(小麦、大麦、柑橘類、オリーブ、なつめやし等)に加え、石油、天然ガス、燐鉱石
等の天然資源、食品加工、セメント、化学ほか近年急速に成長した皮革・繊維等の工業、観光業等、多様な産業構造を有している。とあります。
気候と時差
チュニジアの気候 沿岸部は夏は暑くて少雨、そして冬は比較的おだやかな地中海性気候。湿度が低いために、気温のわりには(時に40〜50℃に
達することもある)比較的過ごしやすい。夏でも朝晩は冷え込むことがある。内陸部は大陸性気候で、日中は暖かく朝夕は冷える。年間を通して
上着を持っていると心強い。
時差とサマータイム
日本との時差は-8時間。チュニジアの正午は日本時間で20:00。チュニジアはサマータイムを実施していないので、3月下旬から9月までは夏時
間のあるヨーロッパの各国とは1時間の時差。
(2)中でも観光業は1970年代以降著しい成長を遂げ、外貨収入の柱となっているほか、工業製品の輸出も欧州向けを中心として伸びてきた。
また、観光・貿易に加え、欧州の出稼ぎ労働者からの送金が依然重要な外貨収入源となっている。しかし、基本的に欧州依存型の経済構造であ
るため、経済の動向は欧州の景気に大きく左右される。また、灌漑農地が少ないため農業生産は天候(特に降雨量)に大きく依存する。観光業
については、2002年のジェルバ島におけるテロ事件で伸び悩んでおり、また2005年1月より多角的繊維協定の終了を受け、中国産繊維の輸入
が急増、チュニジアの繊維産業は重大な影響を蒙っている。更に、原油の国際価格の上昇等もあり、チュニジア経済の発展に対するマイナス要
因が増えている。
チュニジアンブルー
といわれる青と白とアーチがチュニジアの象徴。 建物の多くは壁が白くて窓とドアが青、そしていたる所にアーチが組み込まれています
ハンニバルって何?誰?
歴史上の偉人です。昔、世界史の最初のほうで習いませんでしたか? そう、 昔のカルタゴが今のチュニジア。 あのローマ帝国と戦った
カルタゴの将軍の名前がハンニバルです。 象に乗ってピレネー、アルプス山脈を超え、 ローマを北から攻めた戦術に秀でた名将です。
今でもチュニジア人誰もが尊敬する英雄です。チュニジアの大統領官邸の中にもちゃんとハンニバルの像が飾ってあるそうです。
ザグーアンのローマ水道橋
水源のアトラス山脈東端ザグ−アンからチュニス北部のカルタゴまでの132kmをこの世界一の水道橋が造られていた・・・という。
ザグ−アンのローマ水道橋
ザグ−アンの水道橋は今も残っている部分だけでも20kmもあるのです。この水道橋はその土地が高い所では地下に通し土地の低い所では水道
橋として構築されチュニジアの歴史の中で破壊や構築再建補修をくり返してきました。
ドゥッガ のローマ遺跡 世界遺産
ここはチュニスの106km南西にあり、紀元前2,000年ころヌミディア王国の都市として栄えていた。
北アフリカ最大のヌミディア・ローマ・ビザンチン複合遺跡でその保存状態よいことで知られている。
ドゥッガ のローマ遺跡
ドゥッガ のローマ遺跡
ドゥッガ のローマ遺跡
ドゥッガ のローマ遺跡
ドゥッガ のローマ劇場
ここはかってのヌミディア王国の都市でカルタゴの支配下にあったが、ローマに占領されたがビザンチン帝国によって再興し要塞化されたもの
で当時は約10,000人の人たちが住んでいたといわれている。
ケロアン(カイルアン) Kairouan 世界遺産
チュニスの南165kmここケロアンは北アフリカでのイスラム発祥の地である。しかし1,057年にベドウィンの侵入で街は破壊され、後に首
都はチュニスに移されたが、今でもイスラム世界はメッカ、メディナ、エルサレムに次ぐ重要な聖都であり、このケロアンへ7回巡礼すれば、
メッカへ一度巡礼したことになる・・・という。ここの北アフリカ最古のグランドモスク、シディ・サハブの霊廟のある古都ケロアンも世界遺
産に登録されている。
ケロアンのメディナ
ケロアンの城塞の中にあるホテル
チュニジアの魔よけ ファティマの手
またこのケロアンはチュニジアカーペットの産地としても知られている。
またここにはアグラブ朝に造られた貯水地がかっては14カ所あったものが現在も4カ所残っている。
アグラブ朝に造られた貯水地
ラクダの物売り
チュニジア 世界遺産 紀行 その1をを
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