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デジカメ気まぐれ旅日記

モロッコ 世界遺産 を訪ねて  その1

カサブランカから首都ラバトそして北端に位置するヨーロッパに一番近いタンジェ

ご意見等お便りをお待ち致しております.

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モロッコは、アフリカ大陸の北西端に位置し、北は地中海、西は大西洋に面している。東はアルジェリア、南はモーリタニアと国境を接し、ジブラルタル海峡をはさんだヨーロッパまでは約14km。日本からの距離は直線にして約15,000km。緯度的には日本の九州から台湾南部までに相当する・・・という。

関西国際空港からパリまで12時間40分、パリからはカサブランカまで約3時間のフライトである。

  1.面 積   45.9万km2(西サハラ除く)

  2.人 口   28.7百万人(2000年)

  3.首 都   ラバト

  4.人 種   アラブ人(65%) ベルベル人(35%)

  5.言 語   アラビア語(公用語)、フランス語

  6.宗 教   イスラム教

  7.時 差   日本より9時間遅れである。

インターネットのモロッコ情報によると、

その地形は、

山地、高原、平野、砂漠の4つの地形に大別され。国の北部(タンジェ、テトゥアン、アルホセイマ等)はリフ山脈(Rif)が地中海にまでせまり、リフ山脈とアトラス山脈に挟まれた地域(フェズ、メクネス等)はなだらかな丘が続き、モロッコの穀倉地帯となっている。大西洋岸は平野が続くが、南下するに従い砂漠が広がる。国のほぼ中央に中アトラス(Moyen Atlas)、高アトラス(Haut Atlas)、アンチ・アトラス(Anti Atlas)の3つのアトラス山脈が横たわり、高アトラスにはモロッコの最高峰ツブカル山(Toubkal)(標高4,167m)がそびえる。アトラス山脈の南には広大なサハラ砂漠が広がっている。

民 族は  先住民族のベルベル人とアラブ人である。

言 語は  公用語はアラビア語であるが。かってフランス領だったこともあり、フランス語のほか、英語やスペイン語も都市部や若い世  代には通じている。

気 候は  1年を通じて四季があるが、地域によってさまざまな特徴が見られる。

      北部の地中海沿岸は、夏は暑いが年間を通じて温暖で過ごしやすい。冬は比較的雨が多い。

      大西洋岸は、一年を通じて晴天の日が多く温暖で、雨が少ない。

      内陸の高原は、夏の日中は40度を超えるが、乾燥しているので朝夕はしのぎやすい。

      山脈地帯は、冬は雪が降り、気温は氷点下になる。

      サハラ砂漠は、雨はほとんど降らず、夏は高温で冬でも暖かいが、朝夕の気温差が大きい。

カサブランカ= Casablanca

 

ホテルスイスから

カサは家を表わしており、ブランカは白い色すなわち白い家を表わしている。 

人口約320万人を擁する北アフリカ最大の商業都市がカサブランカである。

 

ホテルハイアットのバーカサブランカ

映画「カサブランカ」で有名な町だが、現在では近代的なビルが立ち並び、映画の面影はあまりない。

カサブランカの歴史は古く、12世紀のムワッヒド朝時代にはすでに貿易港として栄えていたという記録がある。一時ポルトガルによって破壊されたが、18世紀に再建され、スペイン商人らがこの町に住み着くようになった。それまで町はアラビア語で「ダール・バイダ(白い家)」呼ばれていたが、それがスペイン語に翻訳されて「カサブランカ」と呼ばれるようになった。

 

カサブランカビール

 

1907年のフランスによる占領後、外国人の住民も増え、ヨーロッパの影響を色濃く受けるようになった。現在ではモロッコの商業・貿易の中心地として町は活気にあふれている。

モハメッドV世広場

カサブランカの中心で、半円形のドームが目印。周辺には高級ホテルや航空会社、旅行代理店、レストラン、カフェ、映画館などがある。

 

 

水売りおじさんから水を買う人

 

水売りおじさん

 

モハメッド5世広場

メディナ

近代的なビルが並ぶ新市街とはうってかわって庶民の活気に満ちたカサブランカのメディナ。細い路地に、工芸品、日用雑貨、食料、香辛料などの店がところ狭しと並んでいる。

ハッサンII世モスク

1993年8月、6年の歳月をかけて完成した巨大なモスク。高さ172mのミナレット(尖塔)は世界一。海岸の近くにそびえる壮麗な姿は、夜、ライトアップされたところを見ると一層幻想的なイメージが高まる。

全敷地には8万人の人が収容でき、モスクの中には25,000人の人が入れる広さがある・・・と言われている。

 

 

ハッサンII世モスク

 

 

ハッサンII世モスク

 

 

ハッサンII世モスク 

ラバト= Rabat

紺碧の空と海を臨むモロッコの首都ラバト。褐色の城壁に囲まれた町には、白壁の建物、ヤシの並木通り、緑豊かな公園や広場が点在し、静かで落ち着いた雰囲気を醸し出している。

王宮、官公庁、議会、外国公館の集まる近代的な町並みだが、自然との調和が感じられる。

ラバトの歴史は古く、12世紀、「勝利王」と呼ばれたムワッヒド朝のスルタン、ヤコブ・エルマンスールが、その栄光の証としてこの地に都をおいた。

エルマンスールは巨大なモスクの建設を企てたが、その死によって計画は中断し、現在ではハッサン塔と呼ばれているミナレットの部分だけが残っている。

ムワッヒド朝の没落とともにラバトも衰退し、マリーン朝はフェズを新しい都とした。

しかしその後、ラバトは商業貿易の中心としてふたたび勢いを取り戻し、1912年にモロッコの首都となり、今日に至っている。

モハメッド5世廟

建国の父と呼ばれる前国王モハメッド5世の霊廟。

モロッコの伝統工芸の粋を集めた美しい建築は見逃せない。

 

 

 

モハメッド5世廟

ハッサン塔

モハメッド5世廟と同じ敷地内にある。12世紀のムワッヒド朝の時代に構想された巨大モスクの一部で、約360本の石柱とともに未完のまま残されている。

ハッサン塔はマラケシュのクトゥビアの塔とともにムーア式建築の代表と言われている。

 

 

ハッサン塔

 

 

ハッサン塔

 

王 宮

現ハッサン2世国王の居城。ライトアップされた美しい夜景は異国情緒をかきたてる。

タンジェ= Tanger

ギリシャ神話によれば、ポセイドンの息子アンタイオスがこの町を造ったという。そして妻ティンギスの名をつけた。フェニキアやカルタゴにより貿易の要所として重用され、モロッコで最も古くアラブ人によって征服されたところである。

対岸のスペインのアルヘシラスからフェリーで2時間30分ほどがモロッコとの距離である。

メディナ

細い迷路のような小路に食料品、香辛料、日用雑貨、皮製品、金属細工などの店が軒を並べるスークや、城壁で囲まれた古いカスバがある。ジブラルタル海峡をはさんだスペインの山並を眺めることもできる。

 

 

 

 

タンジェのメディナ

スパルテル岬

ジブラルタル海峡を挟んで地中海と大西洋を隔てているのがここスパルテル岬である。

ここには1864に造られた灯台がある。

残念ながら雲が低くたれ込めていてジブラルタル海峡対岸のスペインを眺める事はかないませんでした。

 

スパルテル岬を中心に左側の海は大西洋、その右側は地中海である。ここは大西洋と地中海の接点である。

 

スパルテル岬その前はジブラルタル海峡その向こうはスペインだ!

ヘラクレスの洞窟

大西洋の波の侵食によって出来た洞穴で大西洋に向かってできた大きな穴の向こうから大きな波が入り込んでくる。この大きな洞穴の形はエジプトで見られる人の形をしている・・とか、またアフリカ大陸を左右反対にした様・・・という人もいるという。

 

ヘラクレスの洞窟

 

 モロッコ 世界遺産 紀行 その1

ご覧頂きまして有難うございました。

つづけて その2 もご覧ください。

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