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デジカメ気まぐれ旅日記

太陽の国メキシコ世界遺産を訪ねて  その1

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 木 禧 明 & 公 子

太陽の国メキシコ = mexico

国立人類学博物館 & メキシコシティ旧市街 湖に浮かぶ大都会 世界遺産

 12月1日13:20成田空港を飛び立ったアメリカンエアラインは11時間10,334kmのフライトでアメリカ南部のダラスフォトワース(Dallas Fort worth)空港に到着した。日本との時差はな〜んと15時間である。

 ここで乗り換えてメキシコシティ国際空港(Aerop-uerto Internacional de la Ciudad de Mexico)までは2時間のフライトである。

 メキシコシティは平均標高が2,240mとのことであり水は約80度で沸騰する。メキシコシティは大都会で公表されている人口は2,020万人であるが、実際は2 ,500万人から2,600万人とのことである。

 

1910年に建てられた高さ36mのメキシコ独立記念塔

 アラメダ公園 = Alameda Central メキシコシティで一番古い公園であり、スペイン語でアラモはポプラの木を表わしておりこの公園にポプラが植えられている。またメキシコ国民から最も敬愛されていたというベニト・ファレス大統領(1806〜72)の記念像がある。

 メキシコの人口が約9,200万人から考えると如何にメキシコシティに人が集中しているかがわかる。国土面積は日本の5倍強という事から考えてもその密集度がうかがえる。

国立人類学博物館

 ここは街の中心部にある独立記念塔の西チャベルテベック公園の中にある。 メキシコシティではまず最初に国立人類学博物館(Museo Nacional de Antropologia)へメキシコ文化の基礎を勉強にいく。

 ここでは、第1室の人類学入門から始まってメソアメリカ第5室のテオティワカンに続いてトルテカ、アステカ(メシカ)、オアハカから第10室のマヤへと続いている。

 

 

 

 

ガイドの新宮先生

 BC800年頃にメキシコ湾岸にオルメカ文明が栄えた。その後BC200年頃になってユカタン半島にマヤ文明の最盛期を迎える事になる。

 

 

 

左はケツァルコアトルの神殿、右は太陽のピラミッド(いずれも博物館の模型)

 

 

左は神官を頂点にした階級を表わしている。

 ADにはいってテオティワカン文明からトルテカ文明へとつながり、小都市国家の覇権(勢力)争いから12世紀後半になって栄えたアステカ文明は、16世紀にスペインの大砲や銃等の火器に征服される1521年8月13日まで太陽の王国としてのアステカ文明は古代インディオから営々・・・と偉大な文明を築きあげて来たのである。

メキシコ旧市街 = ソカロ広場 世界遺産

 メキシコシティの中心部にあるソカロ広場(憲法広場)にはスペインの植民地時代の象徴とも言える華麗なカテドラルがある。

 

ソカロ広場にあるこのカテドラルは世界でも最大級のものである。

またこのカテドラルはアステカ時代のテノチチトランの祭祀センターの上に建てられているのである。

このカテドラルは世界でも最大級のものであり、その着工が1573年で完成したのはなんと240年後とのことである。

 その隣には重厚な佇まいを見せる 国立宮殿 = Palacio Nacional ここはいまメキシコの大統領執務室として使われておりまたその半分は大蔵省が使用している。

 この宮殿の階段と踊り場、2階の廊下にはメキシコの歴史を大壁画家ディエゴ・リヴェラ = Diego Riveraが10年がかりで描いたという見事な壁画のかずかずが並んでいる。

 またこの国立宮殿とカテドラルの間にはテンプロ・マヨール = Templo Mayorがある。

 ここはアステカの首都テノチティトラン(大神殿)があった所なのである。スペインの征服者コルテスによって徹底的に破壊されたかに見えたこのテノチティトランはその巨大さ故に1913年になって電気工事中に発見されたのである。なお、メキシコシティは巨大な地下水脈の上に乗っているために、その地下水脈の力で土地の浮沈が結構激しい・・・といわれている。

mexico 世界遺産 紀行 その1

ご覧頂きまして有難うございました。

つづけて その2 もご覧ください。

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