Welcome To y - yagi’s Homepage
おいでやすようこそ
わたしのホームページへ! (⌒_⌒);
クロアチア の世界遺産を訪ねて
ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタル
ボスニア・ヘルツェゴビナの国旗 と 周辺地図
モスタル
外務省の資料によると、ボスニアは旧ユーゴ連邦を構成した共和国の一つで、その面積は51,000平方km、首都はサラエボで人口は約450万人民族の構成はムスリム系が44%、セルビア系33%、クロアチア系17%だった。
旧ユーゴれんぽうの崩壊が進む中、1992年4月、ボスニア・ヘルツェゴビナの独立を巡って民族間の紛争が起こり、3年半以上に渡って各民族がボスニア・ヘルツェゴビナ全土で覇権を争って戦闘を繰り広げた。
その結果死者は20万人以上、難民や避難民は200万人といわれる戦後欧州で最悪の戦闘紛争となった。
その後、2001年には欧州評議会への加盟が実現、ボスニア・ヘルツェゴビナはEUヘの加盟を国家の最優先課題にしており、今後ともこのEU加盟を目指して国内の諸改革に取り組むことになります。
ボスニア・ヘルツェゴビナの独立紛争の時の銃弾の跡が無数に残っています
モスタルはボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボの南西70kmのところにあり、ボスニア・ヘルツェゴビナの歴史都市といえます。ここはトルコの影響が強く今でも多くのモスクが点在しとくにこのモスタルには多い。
ここで暮らすクロアチア人、セルビア人、イスラム人などの文化が混在した街でこのモスタルの歴史は1482年にオスマントルコに占領されたことから始まっています。
スタリ・モスト(Sutari Most=旧い橋)はボスニア・ヘルツェゴビナの都市モスタルにある16世紀の橋で、市内を分けているネレトバ川に架かっています。街の象徴となっていたこの橋はボスニア・ヘルツェゴビナの紛争中、1993年11月9日午前3時クロアチア系のカソリック民兵によって破壊されました。
Sutari Most=旧い橋
その後、復興計画が持ち上がり、2004年6月23日に復旧工事が完了しました。そして2005年にはボスニア・ヘルツェゴビナ初のユネスコ世界遺産に「モスタル旧市街の古い橋の地区」で登録されました。
Sutari Most=旧い橋
Sutari Most=旧い橋
スタリ・モスト(Sutari Most=旧い橋)はその中心部が湾曲した橋で、全幅4m、全長30m、川面からの高さは24mもあります。
この橋には、それを守る要塞化された塔が2つ造られており、ヘレビヤ塔とタラ塔でこの2つは「モスタリ」と呼ばれ、その意味は「橋の護衛者たち」である。
Sutari Most=旧い橋とヘレビヤ塔
Sutari Most=旧い橋
クロアチア シベニクの街
シベニクの港と世界遺産の聖ヤコブ大聖堂
シベニクの世界遺産聖ヤコブ大聖堂
シベニクの世界遺産聖ヤコブ大聖堂
シベニクの世界遺産聖ヤコブ大聖堂
シベニクの世界遺産聖ヤコブ大聖堂
シベニクの世界遺産聖ヤコブ大聖堂
クロアチア 世界遺産 紀行 モスタル編をを
ご覧頂きまして有難うございました。
つづけて シベニク〜スプリット〜トロギール 編もご覧ください。
ご意見やお便りをお待ちいたしております。
八 木 禧 明 & 公 子