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デジカメ気まぐれ旅日記

南イタリア South Italia 世界遺産紀行

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八 木 禧 明 & 公 子

 

 今回はイタリア半島のナポリから南、南イタリアの世界遺産を訪ねることにいたしました。
関西国際空港から北イタリアミラノまでの9702kmを12 時間のフライトである。
 
 今は、サマータイムで日本との時差は7時間である。ミラノから乗り継いで、南のナポリまでは1時間30分のフライトで到着する。

イタリアではローマ、ミラノに次いで3番目に大きな都市ここ ナポリ=napoli からスタート致します。

 ナポリ 〜 ポンペイ遺跡(世界遺産) 〜 カプリ島(青の洞窟・カプリ・アナカプリ) 〜 アマルフィ海岸(世界遺産)を通ってカンツォーネの里ソレント 〜 岩穴都市マテラ(世界遺産) 〜 イタリア半島のかかと最東端にあるとんがり帽子の屋根トウルッリのあるアルベロベッロ(世界遺産) 〜 メッシーナ海峡を渡ってシチリア島へ 〜 メッシーナ 〜 活火山エトナ山のふもとにあるタオルミーナ 〜 シチリア島最大の都市パレルモ 〜 モンレアーレ 〜 アグリジェント(世界遺産)・・・の世界遺産の数々を6日間で廻ります。

ナポリ = Napoli

 ナポリは昔ギリシャ人が造った街=ネオポリスで、それがいまのナポリになった。たまご城のあるサンタルチア港には、船乗りの女神である聖ルチア(光り)が祀られている。
 

ナポリの街とたまご城

 

 ナポリ湾にあり、歌でも知られているこのサンタルチア港は、香港、リオネジャネイロとともに世界の3大美港のひとつといわれている。
 

 真っ赤なトマトをイメージする南イタリア、イタリア料理 = Pasta & Pizza はすべてここ南イタリアが本場である・・・とのことである。

ポンペイ = Pompei 世界遺産

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 ポンペイは紀元前8世紀ころにイタリアの先住民が建築したもので、のち紀元前525年から474年までギリシャ人がこれを支配下において栄えた商業都市である。のち変遷を経て紀元前89年に完全にローマの支配下にはいる。面積66万平方mあり、3.2kmの城壁に囲まれたなかに約20,000人の人が暮らしていた。
 

 

  

 最初の惨事は、紀元前62年に起きた大地震で、ポンペイの街は瓦礫の山と化してしまった。そしてのち半壊した街を蘇らせ産業、商業もその活動を再開させ、かっての地震による災害を忘れベスビオのなだらかな斜面にはぶどうが広く栽培されていた。ポンペイの街には豪奢な邸宅も立ち並んで、以前にも増して繁栄していた。
 

 

 

 そのベスビオが紀元79年8月24日正午すぎに突然に目をさまし、大爆発を起こしたのである。この恐るべき光景を克明に記録したものが残されております。水分を含んだ火山灰が逃げまどうひと人に容赦なく降り掛かり、ようやく火山灰から逃れた人たちも毒ガスによって命を断たれてしまった・・・とのことである。
 

これは空洞を石膏で固めて再現されたものである

 そして忘れ去られていたものが、1711年になって発見されたもののそのまま捨て置かれてしまった。1748年にもポンペイ遺跡発見・・・といわれたが、その発掘が始まったのは1840年に入ってからである。

愛の島・夢の島 カプリ島 = Capri

 

ナポリサンタルチア港からカプリ島

 

 

 カプリ島へはナポリのサンタルチア港から船が出ている。約40分でマリーナグランデにつく。そこで小さな船に乗り換えて青の洞窟へと向かう。しかし洞窟に入るには洞窟の入り口が水面から高さが約1mしかないために洞窟の前で、再度6人乗り位のボートに乗り換えることになる。
 

 

 洞窟の入り口が水面から約1mの高さしかないということは少しでも波が高いと洞窟へは入れない・・・ということである。さいわい波穏やかで洞窟に入ることは出来たが、ボートが窮屈すぎてよく眺めることができずに終わってしまった。
 

 

洞窟に入ってから出るまでほんの一瞬で5分くらいの時間しかない・・・それくらい繁昌しているということだが・・・この青の洞窟は奥行き約20m幅約10mとほんとうに小さな洞窟である。ここは岩から溶け出したいわの粒子によって見事な青色を映し出しているのである。
 カプリ島は、その面積約10平方km、島のまわりは17kmで断崖が切り立っていて、一番高い山は569mである。マリーナグランデからケーブルカーでカプリのまちにのぼると眼下にはナポリ湾からソレントまでの素晴らしい景観が眺められる。カプリでの昼食はいかのパエリヤである。
 

 

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 カプリからアナカプリまでは約10分で頻繁にミニバスが運行されている。ここは切り立った断崖に道路が造られているために大きなバスは通れないのだ。カプリ島はレモンの島でもある。レモンのジェラートからレモンリキュールまで店頭はレモン色でまっ黄色である。この島は、日に日に観光客が増え間もなくサマーバカンスに突入しようとしているイタリアのリゾートスポットである。

ナポリ湾から見たヴェスヴィオ火山

ソレント = Sorrento

 ナポリ〜ソレントの間にアマルフィの街がある。ここも断崖の岩場にへばりつくようにして造られた街で世界遺産に登録されている。しかしここは通過である。
 

 オーソレミオ = 私の太陽の意味である。
 

 

 カンツォーネ帰れソレントへ!などでご存知の街、ここも断崖にへばりつくようにして開けた街である。海の向こうにカプリ島を眺めることができる。ここはピザの郷である夕食に大きなピザが出てきたが半分食べるのがやっとであった。

岩穴都市マテラ = Matera 世界遺産

 南イタリア中部にあるバジリカータ州、イタリア地図で見ても靴の土踏まずの少し北辺りになります。イタリアファンの方々にとっても交通も不便であまり馴染みのないところです。ここには紀元前の新石器時代から住居として使われてきた、サッシと呼ばれる岩穴住居群があります。
 

 

 

  

 

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 イタリア語の sassi (サッシ)は sasso (石や岩の意味)の複数形である。ここは、トルコのカッパドキアに似ているが、ここのものはもっと人工的である、というか建築技術も進んでおり何か機能的な感じを受けた。
 

 

 

 サッシの中は案外広く、ひとつの住居に一つの家族が家畜(主に馬)と共に生活をしていた。第2次世界大戦後は住居を求めてここに住み着いた人が、10,000人を超えていた・・・とか。1986年からはイタリア政府による条例によって、再建し補強、改築されて見事に立ち直っている。いま、ここに住もう・・・としても、お金持ちでないと改装費用がかかって住まれない・・・とのことである。

アルベロベッロ = Alerobello  世界遺産

 

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 イタリアのかかと = Il Tallone D’Italia でプーリア州にある。ちょうどイタリア半島の長靴のかかとの少し北でイオニア海に向かって開けた街である。トゥルロはギリシャ語でトロス = Tholos で円形のとか、ドーム状の建物を意味している。

 これは地中海沿岸の島々に古代ギリシャ文化が影響を及ぼしたものであり、古くはエジプトのピラミッドとも関わっている・・・といわれている。

 

 

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 アルベロ = 美しい ベッロ = 木にできた の意味であり、このアルベロベッロには、アイアピッコラ地区に400戸のトゥルリがあり、ここには1,500人のひとが生活をしている。ここでモンティ地区で7年前に日本からこちらアルベロベッロへお嫁入りしてきて・・・スーベニアショップを経営している Laera Yoko (陽子) さんに出会った。陽子さんは添乗員の竹口さんとは懇意の方であるそうな!陽子さんの紹介で、イタリアで一番美味しいという??イタリアンジェラートの店でツァー参加者のほとんどの方がこのジェラートを賞味した。
 

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 そして大通りを隔てたモンティ地区には1,030戸のトゥルリがありこちらの方には約3,000人の人たちが住んでいる。
 

 

 

 

 トゥルロ建築は石を一つ一つ円錐状に積み重ねて造られた物で、円錐形屋根?が一つのものはトゥルロで、複数のトゥルロのあものはトゥルリと呼ばれている。

 トゥルロの三角帽子のてっぺんの小さな尖塔にはそれぞれに多様な装飾が施されており、太陽崇拝などの意味があるほかてっぺんの押さえの役割をはたしている。

シチリア島 = Sicilia

 アルベロベッロからイオニア海沿いに西へイタリア本島の最西端のサンジョバンニから、メッシーナ海峡をフェリーで20分でシチリア島のSicilia = シチリアに到着する。
 この島はイタリアの全面積の12分の1を占めており、ここに約500万人の人が住んでいる。

 Siciliaはギリシャ語でトリナクリアと言われており、3つの岬または3角形の島を意味している。

タオルミーナ= Taormina

 

右の写真は夜10時ころエトナ山が噴火し溶岩が流れているのが見えた

 タオルミーナは活火山のエトナ山とイオニア海を眺めおろす、海抜250mのところに開かれ、“地中海の女王”と呼ばれている景観の美しい高級リゾート地である。
 

 

 タオルミーナへは急な坂道をミニバスで登っていく。バスを降りるとすぐにメッシーナ門がありこれを抜けるとエマヌエーレ広場に出る。ここからスーベニアShop = 土産物のお店が並んでいるゆるやかな坂道=ギリシャ劇場通りを行くと、タオルミーナの断崖の上に建築されたギリシャ劇場に行き当たる。ここは紀元前358年に造られたすりばち形状の大きな劇場で5,000人の観客を収容できる大きさである。
 

 

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 客席からは遠くにエトナ山を眺め、眼下には美しいイオニア海のタオルミーナ湾が広がる絶景のスポットである。いまでも夏の6〜9月には野外オペラが上演されている・・・とのことである。

 ギリシャ劇場から戻って西へ向かっていくとドゥオモ広場にでる。ここのテラスから眺められるエトナ山とタオルミーナ湾は素晴らしい・・・の一語に尽きる。

 

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 このタオルミーナ湾の先端タオルミーナ岬を東に行ったところの入り江に、映画『グラン・ブルー』のロケに使われた小さな島 Isola・Bella = その名の通り美しい島がある。
パレルモ = Palermo

 シチリア州の州都パレルモは南イタリアではナポリに次いで2番目に大きな都市である。ここは19世紀まで外国の支配が続いていたところである。古代にはカルタゴ、ローマの支配を受け、その後6〜9世紀にはビザンチン帝国、その後アラブの支配下にもなった。面積25,000平方キロメートル、人口は約500万人である。

 11世紀末からはノルマンに占領された。パレルモが栄えたのはこの時期である。

ポルタ・ヌォーヴァはマヨリカ焼きで覆われた尖塔の下に4体の男像柱が彫られている。

 

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ノルマン宮はノルマンのシチリア王ルッジェーロ2世が12世紀に改修、増築し、ここを王宮とした建物である。
 カテドラルは12世紀後半に建てられたシチリア・ノルマン様式の教会で、その後の支配者によって手を加えられ、正面はノルマン様式、大円蓋はロマネスク様式、そしてイスラム様式、ゴシック様式と時代の変遷を物語っている。
 

 

クワットロ・カンティとは“4つの隅”の意味である。交差点の各角にはバロック調の装飾が見事に施されている。
 

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クワットロ・カンティのもう一つは工事中であった。

プレトーリア広場はパレルモ市役所の前の広場で、この噴水のある広場には、北のフィレンツェにあった彫像を買い取ってここに設置する工事が進められている。
 この市役所の横手辺りに12世紀に造られた、朱色のドームの飾りのあるノルマン・アラブ様式の、ラ・マルトラーナ教会とその隣にサン・カタルド教会がある。
 

シチリア島パレルモのオペラハウス

モンレアーレ = Monreale

 Monte = 山 Reale = 王様の 意味をあらわしている。パレルモの南西にある標高300mのところにある人口30,000人の街である。ここは9世紀ころのノルマン時代、北の方に住む人びとすなわちノルマン人のバイキングが住み着いたところである。

 

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 ここにある大聖堂と修道院は、グリエルモ2世が12世紀に造った物で、その聖堂内の柱や壁面にはビザンチンとアラブの職人に造らせたという・・・豪華で見事なモザイクが施されており、その面積は102m×40mで約4,080平方メートルと、これはトルコイスタンブールにあるアヤソフィアのものが6,340平方メートルと一番大きいが、それに次いで世界で2番目の広さである。

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 大聖堂のとなりにある修道院には、ここにもモザイクで飾られた1辺47mの完璧な正方形に2本組の円柱が228本並び、この細い円柱に黄金、モザイク、貴石、溶岩や石灰岩などで曲線のアーチで柱ごとに異なった装飾が施されたところに中庭が造られている。
 

 

 

アグリジェント= Agrigento 世界遺産

 2500年の時を刻んで20あまりの古代遺跡“神殿の谷”が、冬には白いアーモンドの花が咲く、シチリア島南部で地中海を臨むこのアグリジェントの丘の上に広がっている。

 

 

 

 

ヘラクレス神殿

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 アグリジェントのこの街は、紀元前580年ころギリシャのロードス島からの入植者によって建設されたという。紀元前6世紀に造られたアグリジェント最古のヘラクレス神殿には8本の円柱がのこっている。
 

 

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 つづいてドーリア式のコンコルディア神殿、そしてヘラ神殿からは地中海が眺められる。
 

死者を運んだ地下通路と墓地

 ゼウス神殿とその廃虚にあるアゴラにはゼウス神殿を支えていた巨大な男像柱テラモーネのほか、滑車として使われた石のほかにも断片の多くが残されている。
 

 

 

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 しかし、その少し隣には近代的な新市街が広がっている。南イタリアには、北には少ないギリシャ文明の影響が至る所に残されている。ローマ時代の遺跡が中心の北部と比べると、激しかったそれぞれの時代の変遷が感じられた。
 

  

 

ホテルでの南イタリア最後の晩さん

South Italia 世界遺産 紀行

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