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デジカメ気まぐれ旅日記

ポルトガル Portugal 世界遺産 紀行

 

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八 木 禧 明 & 公 子

  

 

  10:45に15分遅れで関西国際空港をテイクオフしたLufthansa LH741便はドイツのフランクフルトのラインマインAir Portまでの9,280kmを11時間45分のフラ   イトである。

  
lufthanza          シベリア上空
 フランクフルトの空港は成田空港の4倍の大きさがあるが、それでも空港はひと人でごった返している。

 8時間の時差がありフランクフルトには現地時間14時30分に到着した。早速入国検査を受けてフランクフルトの市内観光に出かける。

フランクフルト

 フランクフルトではトランジットタイムが9時間もあるので、その時間を使ってのフランクフルト市内観光である。

 いま、EUの地域では、EUのどこかの国で入国検査を受ければ、その他の国へ行くのは国内線での移動・・・ということになり、パスポート提示の必要はありません。

  

昔の関所タワー       ゲーテハウス

 通貨のユーロも2001年の春から流通を始める・・・とか、これが実現するとややこしい各国の通貨との換算は必要がなくなり、ユーロOnlyで過ごすことが出来るようになる。各国の通貨との両替えの手間はなくなります。

 2000年1月1日のベルリンへの遷都に湧くドイツ、フランクフルトはそのドイツの5大都市のひとつで人口は65万人マイン川に開けた都市である。ドイツは森の文化・・・と言われているように多くの森がある。ほとんど山がなく平地が広がっているため土地は本当に広々としている。

  

ローマ広場

  

  

ローマ広場にあるソーセージ&ビヤーレストラン

 フランクフルトでは、15世紀に造られたゴシック風の関所のタワーエッシェンハイマー・トゥルムや、フランクフルトが生んだ偉大な詩人ゲーテが住んでいたというゲーテハウス、を見学してから、フランクフルトのローマ広場(NHKの名曲の広場に出てくる広場)と1200年頃に建てられた・・・という大聖堂カイザードームを見学した。
  

カイザードーム           ドーム前の浴場跡 

 21時50分発 Risbon 行きは3時間のフライトで、ポルトガルのリスボン空港に到着したのが23時45分、空港でポルトガルの通貨であるエスクード(1エスクード=0.6円)に両替えをしてからバスでHotel zurique に到着したのが午前1時30分である。日本では午前10時30分、関西国際空港を飛び立ってからちょうど24時間が経過したことになる。

 

アズレージョで飾られたユーラシア大陸最西端の国 

ポルトガル = Portugal

コスタ・デ・リジュボア = Costa de Risboa (ポルトガル南部地方)

ファドが流れる街リスボン

 ポルトガルは正式には Republica Portuguesa = ポルトガル共和国 で、首都はリスボンである。ポルトガルの面積は92,000平方kmで人口は1070万人である。

 その内首都リスボンには75万人の人が住んでいる。しかしリスボン郊外のベッドタウンの人口を合わせると約200万人になるとのことである。リスボンはポルトガル語ではリジュボアと発音する。

  

戦勝記念塔

サンタクララ広場

 ポルトガルはアズレージョ = 装飾タイルが美しい国で、何処にいっても建物の外壁や室内装飾として必ず大小のアズレージョで飾られている。このアズレージョは9世紀にイスラムがこのイベリア半島に持ち込んだものである・・・といわれている。

 アズレージョには神話、寓話、宗教画、戦場画など当初はブルー色が多かったが、いまでは多色のタイルに代わってきているとのことである。

 
 リスボンには、スペインのタホ川がポルトガルに入ってきてテージョ川となって流れている。ポンパル公爵公園のロータリーには彼の戦勝記念塔が建っている。しかしリスボンの中心はやはり高台に建てられているサン・ジョルジェ城 = Castelo de Sao Jorgeである。これはジュリアス・シーザー時代ローマ人のてで要塞として建設されたものであるがいまは公園になっている。
  

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 バイシャ = Baixa はサンジョルジェ城の西側に広がるロシオ広場を中心にしたリスボンの旧市街である。このロシオ広場のすぐ近くにサンタ・ジュスタのエレベーター = Elevador de Santa Justa がある。170エスクード=約100円で上まで登ってこられる。
  

ロシオ広場

    

サンタ・ジュスタのエレベーター

 市街の中にある展望台であるここからの眺めは、サンジョルジェ城を目の前に旧市街全体を眺めまわすことができる。ロシオ広場からアウグスタ通りショッピング街の歩行者天国を南へ抜けると海の街リスボンの玄関口と言われているコメルシオ(商業)広場に出る。
  

  

リスボンの街並

  

コルメシオ広場

 また、ポルトガルといえばファドが流れる街その中心がリスボンである。ここにはこのファド=ブラジルの黒人が歌っていた・・・と言われている悲しい歌が多く、このポルトガルの音楽=ファド=運命とのことである。
  
 リスボンには1966年に戦勝記念に造られた4月25日橋と言われているサラザール吊り橋(2278m)がある。この橋は日本の瀬戸大橋と同じく下を鉄道が走っている。
  

4月25日橋

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ベレンの塔 = Torre de Belem 世界遺産 

 この橋の近くに世界遺産に登録されているベレンの塔 = Torre de Belem がある。この塔は、あのバスコ・ダ・ガマがインド航路を発見したその偉業を記念して建てられたものである。

ベレンの塔 世界遺産

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 司馬遼太郎氏がこのベレンの塔を見てテージョ川の公女と呼んだ・・・とか、この海との境目に建てられた石造りの塔はここ故里を発って遠洋航海に旅たつ船乗りたちを見送り、そして幸運に戻ってきた人たちを暖かく迎えた。しかし、この一階部分はなんと水牢であったと言う。

発見のモニュメント = Padrao dos Descobrimentos

 これは、エンリケ航海王子の500回忌を記念して1960年に建てられたものである。帆船をかたどった高さ52mのモニュメントである。先頭に立つエンリケ航海王子に続いて、天文学者、宣教師、地理学者、そして船乗りたちなど、この大航海時代に活躍をした人々の像が並んでいる。

  

発見のモニュメント

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 前の広場中央には大理石で造られた世界地図が描かれている。ここには日本が発見されたのは、1541年にポルトガル船が九州大分の豊後に漂着した年となっていて、日本で今まで言われてきた・・・種子島に鉄砲を持って漂着した1543年が最初・・・と聞いてきたものよりは2年早くに漂着していた・・・とポルトガルでは公式に記録されている。

ジェロニモス修道院 = Mosteiro dos Jeronimos 世界遺産

  

ジェロニモス修道院 世界遺産

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 これはマヌエル1世がエンリケ航海王子の偉業をたたえ、またバスコ・ダ・ガマの世界一周を記念して、エンリケ王子が建設したマヌエル様式を代表する壮麗な建物である。この修道院の中にある聖マリア教会にはバスコ・ダ・ガマとポルトガルの詩人であるルイス・デ・カモンエスの石棺が安置されている。
  

  

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 また修道院の中庭のまわりを囲んで、1辺55mの2階建ての回廊がある。この緻密な彫刻を施したアーチと装飾は素晴らしいもので、このジェロニモス修道院も1983年世界遺産に登録された。

シントラ = Sintra 世界遺産

 シントラは見上げると8〜9世紀にムーア人によって築かれた、ムーアの城跡 = Castelo dos Mouros がある世界遺産の街である。

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 シントラの王宮 = Palacio Real はトンガリ帽子が2本突きたっているかっての夏の王宮である。ここにはバロック様式のアズレージョで見事に描かれた紋章の間、カササギの間、白鳥の間などがある。

ロカ岬 = Cabo da Roca ユーラシア大陸最西端

  

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 シントラからバスで1時間いくと巨大なユーラシア大陸の西の果てロカ岬である。この大西洋をもっと西へ行くとアメリカ大陸だ・・・しかしここは地の果てのイメージがピッタリと当てはまるところである。

コスタ・デ・プラタ = Costa de Prata (ポルトガル中部地方)

オビドス = Obidos

 オビドスは谷間に囲まれた本当に絵のような小さな村である。1148年からこの村の建設が行われた。1228年にはこのオビドスを訪れた王妃イサベルがすっかり気にいってここを王妃の直轄地として以降1833年まで続いた。

  

  

サンタマリア教会

  

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 いまでもここはポルトガルの若手画家、彫刻家、陶芸家の活躍場所となっている。この小さなオビドスにもサンタ・マリア教会をはじめ教会が城壁の中だけでも4つもある。

アルコバサ = Alcobaca

 ここはアルコア川 = Rio Alcoa と バサ川 = Rio Baca が交わるところにできた小さな街である。12世紀の中ごろに建てられたサンタ・マリア修道院 = 世界遺産と共に栄えたところである。

サンタ・マリア修道院 = Mosteiro de Santa Maria 世界遺産

  

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 1152年に建築が始められたアルコバサのサンタ・マリア修道院は中にペドロ1世とカスティーリャ王国からきたコンスタンサ姫の侍女イネスの石棺が安置されていることから有名になった。これはペドロ1世が王位についてから、親子を虐殺された悲劇のイネスこそ正式な妻であることをこのサンタ・マリア修道院の教会に認めさせたことによって石棺の安置が実現した。
  
 なおこの修道院のファサードは18世紀になってバロック風に改築されたものである。

ナザレ = Nazare

 ロドリゴ王が僧ロマノを供に、ここ北部の岩山の上シティオ(今のナザレの1つの地区名)までやってきた時に携えていたマリア像イスラエルのナザレのものであったことからこの名前がつけられた。

  
 ナザレは大西洋に向かって長い砂浜が広がっている。ここはフィッシャーマンの町である。男性はチェックのシャツにフィッシャーマンセーター、既婚の女性は7枚重ねのスカート姿が今でも多く見られる。中でも海でご主人を無くした未亡人は黒装束で生活を送っている。 

ナザレ教会 = Igreja Nossa Senhora da NazareCapela da Memoria

  

 

  

ナザレ教会

 ロマノはかれがここで亡くなる時にマリア像を洞窟の中に隠した。これが468年後になって見つけだされた。その後マリアの奇跡が起こったことから1377年になって教会が建てられた。しかし今の教会は17世紀になってから建て替えられたものである。

メモリア礼拝堂 = Capela da Memoria 

  

 この場所でマリアの奇跡が起こったと言い伝えられてある。1182年の霧のかかった朝ここの城主が狩りをしていて、獲物の鹿を追ってシティオ岬の端まできたときに馬が後ろ足だけで立ち上がった時に、前足は断がい絶壁の上に突き出ていたという。その時突然マリア像が現れ馬は奇跡的に後ろ足だけで後戻りをして難を逃れることができた・・・と言われている。この奇跡に感謝してこの礼拝堂が建てられた。

バターリャ = Batalha 

バターリャ修道院 = Mosteiro da Batalha 世界遺産

  

バターリャ修道院 = 世界遺産

 バターリャとはポルトガル語で『戦い』を意味している。1385年当時のジョアン1世が率いるポルトガル軍がカスティーリャ軍を撃ち破り、スペインに対してポルトガルの独立を守った。1388年ジョアン1世はこの戦勝を神に感謝して修道院を建立した。
  

   

 正式の名は勝利の聖母マリア修道院である。16世紀初頭までかかって建築されたこの華麗な修道院は、ポるトガルのゴシック・マヌエル様式の建物を代表している。

ファティマ = Fatima

 第一次世界大戦のころ、この地で3人の子供達の前に聖母マリアがあらわれ予言を告げる・・・という奇跡が起こったことから、ここはカトリックの聖地となっている。

  

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 540m×160mと大きな広場に高さ65mの塔をもつバジリカ = Basilicaがあり、広場中央にはキリスト像が立ちその前に泉がある。この広場には30万人以上を収容することができるとか、毎年5月13日と10月13日の大祭には巡礼者で埋め尽くされる・・・とのことである。

コインブラ = Coimbra

 丘の上にあるコインブラ大学を中心に開けた文化の町である。ポルトガルでは政治のリスボン、商業のポルトそれにこの文化の町コインブラである。ここは人口19万人の小さな町である。

  

  

 1290年ディニス王によって創設された大学は最初リスボンにあったが、コインブラ〜リスボンを往復している内にコインブラに落ち着いた・・・という。ヨーロッパの中でも古い大学で、1911年リスボン大学が出来るまでポルトガルで唯一の大学であった。
  

コインブラ大学の図書館

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 コインブラ大学の中には1724年に造られた図書館があり、その蔵書はもちろん、建物の内装もヨーロッパの中で有数のものである・・・と言われている。

ブサコ = Bucaco

  

王宮のブサコパレスホテル

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 緑豊かな国立公園ここは人里離れた修道院の土地であったが、ポルトガル最後の国王マヌエル5世がこの深い緑の森の中に王宮を建てたのが、いま5つ星のホテルとなっている Bussaco Palace Hotel である。

ブサコパレスホテル美しいアズレージョ 

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 ファサードを美しいアズレージョで飾られた静かなたたずまいのホテルである。このホテルは各部屋の内装がそれぞれ異なっていて個性的な雰囲気を醸し出している。

 

コスタ・ヴェルデ = Costa Verde (ポルトガル北部地方)

ポルト = Port 世界遺産

 リスボンから北へ約300km、ドウロ川 = Rio Douro に沿って開けたポルトの街はポルトガルでリスボンに次いで2番目に大きな都市である。ドウロ川にかかるドン・ルイス1世橋からの眺めは、ここポルトもリスボンと同様起伏が多く、ドウロ川の両サイドに家々がしがみつくように建っている様子が見られる。このドウロ川の南側はローマ時代 カーレ = Cale と呼ばれた州であった。この河口の街が 港 = Portus であったことから、Portus Cale = Portugul とポルトガルの語源になっている。

  

ポルトのカテドラル

 ドウロ川には、この川に沿ってワイン工場が並んでいる。ここポルト=Portは、ドウロ川の上流約100kmに沿ってブドウの栽培が行われておりポルトワイン = Port Wineの生産地である。ポルトワインはここで生産されたものにのみ付けることができる。その昔、上流からポルトワインの樽を運んできできたというラベーロ(小型帆船)が繋留されている。
  

  

  

Sandeman Port Wine Museum

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 ポルトワインの赤は少し甘味があるがアルコール度数は20度と高めである。平均8年間くらい熟成させたものが多く、良いぶどうが採れた年のものはビンテージワインとして価格もワインにしては結構いい値が付いている。これをデキャンターに入れ替えて小さなワイングラスで少しずづ楽しむ・・・とか、代表的なSandeman Port Wine Museum を見学することができた。

プラニシエス = Planicies (ポルトガル東部地方)

エヴォラ = Evora 世界遺産

 リスボンからテージョ川に架かっているバスコ・ダ・ガマ橋(17km)を渡って田園地帯を抜け、コルクの木やオリーブの林を縫って東へ約100km行くと、スペインとの国境近くに城壁の街 世界遺産のエヴォラ がある。

  

左はコルクの木        右はオリーブの苗木

 16世紀に日本からヨーロッパに渡った天正遣欧少年使節は1584年9月にこの地を訪れた・・・という。
  

ディアナ神殿         こしょうの木

  

  

ジラルド広場とエヴォラのカテドラル

ここにはローマ時代、中世、現代が混然としていて、今もエヴォラの街に立つと彷佛としたものを感じる。ジラルド広場を中心にローマ時代のディアナ神殿、中世のゴシック様式のサンフランシスコ教会や12〜13世紀に建てられた八角形ドームのあるカテドラルなど、ポルトガルの歴史が凝縮されている。中でも16世紀にヨーロッパにもたらしたペストの大流行で多くの人が亡くなったが、その人たちを弔うため建てられたサンフランシスコ教会では、教会の横には、亡くなった5000人もの遺骨を納めた人骨堂が建てられている。この人骨堂天井、柱、壁面には夥しい数の人骨が埋め込まれている。しかし実際は、このサンフランシスコ教会のフランシスコ派修道士の黙想の場所として造られたものであるとか・・・
  

  

エヴォラのサンフランシスコ教会

    

サンフランシスコ教会の人骨堂

ここをクリックして大きな画像をごらんください-01

ここをクリックして大きな画像をごらんください-02

ここをクリックして大きな画像をごらんください-03

 エボラの街を守る城壁も古いものは1世紀に造られものでそれが7世紀になって補強され、いまあるものはその大部分が14世紀に造られたものである。

 このエヴォラではコショウの木を見ることができた。エヴォラからの帰りは4月25日橋を渡ってリスボンへ戻った。

懐かしのリスボンをあとに帰国の途に

 

Portugal 世界遺産紀行

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