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デジカメ気まぐれ旅日記

モロッコ 世界遺産 を訪ねて  その3

フェズからエルフードそしてワルザザードからマラケシュ

ご意見等お便りをお待ち致しております.

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イフレン 標高1650mにあるリゾート地

 

 

ザザ−ト峠の標高は2178m

 

ザード峠は標高2178mまわりは雪景色

 

こんな所にロバが・・・

ズィズ渓谷

 

 

 

ズィズ渓谷

 

 

ズィズ渓谷

 

 

オアシスがあるズィズ渓谷

 

 

ズィズ渓谷サンセット

エルフード

エルフ−ドの街は1917年にフランス軍の駐屯地として造られたものである。

ここはサハラ砂漠への入り口であり、ズィズ川一帯に広がるオアシスでもある。

メルズーカ大砂丘の日の出 サハラ砂漠ヘの道はエルフードから50kmの道のりである。

ここからラクダに乗り換えてメルズーカ大砂丘に入るのである。4時起きの朝はかなり気温も低く砂丘には霜がおりているような感じがするほどの寒さであった。ラクダを降りてから砂丘を一つ登りきらなくてはならない。砂に足を取られながら登る。見晴しの良いところに陣取って日の出を待つのである。

 

 

 

メルズーカ大砂丘の日の出

 

 

メルズーカ大砂丘の日の出

 

メルズーカ大砂丘

運良くお天気は晴れ・・・ラッキー、2日前は砂漠には珍しい雨だったとか、またその後に来た人たちは曇っていて何も見えなかった・・とのことである。サバク地帯だから何時も快晴・・・とは思い違いも甚だしく天候はここでも大きく変わるのである。

砂丘を毛布をそり代わりにして滑り降りている若者も見受けられた。本当に楽しそうである。

オアシス都市ティネリール= Tinghir 

三大オアシスの一つであるティネリールはカスバ街道沿いにあるトドラ川に沿って開かれたきれいなオアシスである。カスバ街道とはカスバ=城塞で囲まれた要塞、のとおりこの街道にはオアシスに沿ってこの要塞の村が点々として造られているのである。

 

 

昔の地下水道跡

 

 

オアシス都市ティネリール

 

トドラ渓谷= Gorges du Todra

ティネリールの街から約15km、に向かって谷を下るとトドラ川沿いに大きく切り立った岸壁に囲まれた所がトドラ渓谷である。

 

 

トドラ渓谷

 

トドラ渓谷

 

 

トドラ渓谷

 

ルーマニン ダディス オアシス

 

 

ルーマニン ダディス オアシス

ワルザザード

ワルザザートはナツメヤシのオアシスが広がり、砂漠への入り口を思わせるに十分な景観が楽しめるカスバ街道最大の町である。カスバ街道沿いの雄大なアトラス山脈の峰々と青い空、どこまでも続く土漠の道は、異国情緒たっぷりである。また、ワルザザートはサハラ砂漠の最前基地として軍事的にも重要な町であり、外人部隊の駐屯地でもあった。

アトラス山脈

アイト・ベン・ハッドゥ= Ait Ben Haddou 世界遺産

ワルザザートから西へ向かって焼く33kmの所にあるアイト・ベン・ハッドゥ村は日干しレンガで造られた古い要塞の街である。小川の畔にある丘の斜面をうまく利用して立体的に造られているのである。

大きな門を構えなかは迷路のようになっており、回りは城壁に囲まれている。

ここには今でも5〜6家族のベルベル人が住んでいる。

ここでは映画アラビアのロレンスやナイルの宝石といったものが撮影された・・・という。

 

 

アイト・ベン・ハッドゥ

 

アイト・ベン・ハッドゥ

アイト・ベン・ハッドゥ

 

 

日干しレンガ

 

 

アイト・ベン・ハッドゥ

 

 

アイト・ベン・ハッドゥ

 

 

アイト・ベン・ハッドゥ

 

アイト・ベン・ハッドゥの水道

 

 

アイト・ベン・ハッドゥ

 

イグラムのレストラン売店でのアンモナイト

 

ぞうりむし

 

イグラムのレストラン売店でのアンモナイト

 

2260mのオートアトラスティシカ峠

マラケシュ= Marrakech

マラケシュは「赤い街」と呼ばれるサハラ砂漠入口のオアシス都市。

「マラケシュに行けばモロッコのすべてを見られる」と言われ、ここにはモロッコの歴史、自然、人々の営みが集約されている。

 

 

サハラ砂漠で産出れた大きなアンモナイトが売られている。

マラケシュはフェズについでモロッコで2番目に古い町で、1070年頃にベルベル人による最初のイスラム国家、ムラビト朝によって開かれた。キャラバン貿易、商工業、文化が栄えた。

その後ムワッヒド朝の首都として栄えるが、1269年、マリーン朝によって首都はフェズへと移る。

その後15世紀半ばになって再びここマラケシュが首都となったのである。

クトゥピアの塔

1192年ムワッヒド朝のアブー・ヤコブ・エル・マンスールによって建造されたミナレット。

メディナの西に高くそびえたつその巨大な塔は高さが77mあり、マラケシュの象徴と言われる。

 

サード王朝の墳墓群

サ−ド朝の代々のスルタンが葬られている大墳墓群である。廟には3つの部屋があり、それぞれにコ−ランの一節やきれいな幾何学もようの装飾で飾られている。

 

サード王朝の墳墓群

 

 

サード王朝の墳墓群

バヒア宮殿

1894年から1900年にかけて建造された宮殿。メラーの北にあたり、豪華な装飾の大広間やレセプション(旧ハーレム)、ムーア式の庭園は見るものを魅了する。このバヒア宮殿野まわりには80000平方メートルの庭園が広がっている。

 

 

バヒア宮殿

 

 

バヒア宮殿

 

 

バヒア宮殿

 

 

バヒア宮殿

メナラ庭園

メディナの城壁の西側にある庭園。12世紀のアルモハッド朝時代に造園されたもので、オリーブの木が茂る。

中央のパビリオンは1820年にアラウィー朝のアブデル・ラーマンによって建てられたもので、貯水池に映るその姿はいかにも涼しげ。

 

 

メナラ庭園

 

ジャマ・エル・フナ広場

メディナの中心にあり、にぎやかさの源。

「ジャマ・エル・フナ」とはアラビア語で「死人の集まり」というような意味で、ここはかつて公開死刑場だったことに由来している。

昼間はアクロバットや蛇使い、民族楽団など大道芸人のパフォーマンスが繰り広げられ、夜には食べ物屋の屋台が軒を並べる。

 

 

ジャマ・エル・フナ広場

 

屋台に並ぶ羊の頭と脳みそ

 

ジャマ・エル・フナ広場

 モロッコ 世界遺産 紀行 その3

ご覧頂きまして有難うございました。

モロッコ編はこれで終わりです。

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