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デジカメ気まぐれ旅日記

ヨルダン 世界遺産 を訪ねて

ヨルダンmap

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ご意見等お便りをお待ち致しております.

ヨルダン・ハシェミット王国(Hashemite Kingdom of Jordan)

ヨルダン概況(2005.07 外務省の資料から)

 (1)面積:8.9万平方キロメートル(日本の約4分の1)

 (2)人口:520万人(2003年末現在)

 (3)首都アンマンの人口約 80万人

 (4)言語:アラビア語(公用語)、英語も通用

 (5)宗派構成:イスラム教93%、キリスト教等7%

 (6)政体:立憲君主制

 (7)元首:アブドッラー・ビン・アル・フセイン国王(H.M. Abdullah II bin Al Hussein)

 (8)議会:二院制(上院55名、下院110名(女性議席6))

 (9)政府:首相:アドナン・バドラン(H.E. Dr.Adnan Badran)

 (10)GDP:99.5億ドル(2003年)

 (11)一人当たりのGDP:1,914ドル(2003年)

ヨルダン Jordan

 ヨルダンはおよそ50万年前の石器時代から、ヨルダン川流域にはすでに遊牧民族がいたらしい。紀元前一万年前にはヨルダン川の渓谷で人類最古の農業が行われていた。紀元前1000年前には数々の王国があり、それぞれが都市を形成していた・・という。

 紀元前4世紀にはナバタイ人が南部に王国を築き、その都をペトラに定めたが紀元前2世紀には南下してきたローマ軍によってほろぼされた。この後ローマ帝国が3〜4世紀にわたってヨルダン地域を支配していたが、ビザンチン帝国の台頭によってその勢力は衰えていったという。

 アンチ・レバノン山脈を水源にしてヨルダン川はヨルダン渓谷を形づくっているが死海に流れ込むこのヨルダン渓谷は世界で一番標高が低く、いま死海ではその標高がマイナス400m以下になっている・・・といわれている。ちなみに2番目が中国シルクロードのトルファンでその標高がマイナス180mである。

ジェラシュ Jerash

 シリアからの国境の南ヨルダンの首都アンマンの北約50kmのところにローマ人がこのアラブに造ったローマ都市の中でも最も華麗で、かつ壮大な遺跡の一つ・・・と地球の歩き方に書かれているが、ほんに2000年前に造られたとは思えないほど広大な敷地にジェラシュの遺跡は広がっている。

 

 

ジェラシュ

 

 

ジェラシュ

 

 

 

ジェラシュ

 

 

ジェラシュ

 

 

ジェラシュ

 

 

ジェラシュ

  

 

ジェラシュ

 

 

ジェラシュ

 

 

ジェラシュ

 

 

ジェラシュ ローマ劇場

 

 

ジェラシュ

 

 

ジェラシュ

 

 

ジェラシュ

 

 ここはアレキサンダー大王が襲って来た紀元前332年前から歴史にその名前が登場するのである。紀元前50〜60年頃から、ローマ帝国の繁栄にともなって、その支配下での交易で当時人口が25,000人もあったジェラシュは栄えて来たのである。

ワディラム Wadi Rum

 首都のアンマンから南へ320km4時間で紅海のアカバ手前を東に入ったところにワディラムがある。かってユダヤ人がここを歩いてアカバからエジプトへ行ったと言う、ここはデザートハイウェイといってヨルダンを南北に繋いでいる幹線道路である。

 ワディラムはヨルダンの南部紅海のアカバ、サウジアラビアにもほど近い沙漠地帯にある。ここからは旧石器時代、新石器時代の石器類が数多く発掘されている。ここには先史時代から人が居住していた・・・と言われる跡が見つかっている。

 

 

ワディラム

 

 

ワディラム

 

 

ワディラム

 

 

ワディラム

 

 

ワディラム

 

 

ワディラム

 

 

 

 ワディラム

 ここには紀元前4000年ころから今にいたるまで長い時間の中で刻まれた字や線画などが狭い岩屋や岸壁そして洞窟に中に見い出す事ができる。

 ここワディラムを見学するにはガイドを伴って4WDのトラックの荷台に分乗するか、ラクダに乗っていくしか方法はない。又ここは結構風の強い所でそこら中で細かい砂嵐にみまわれることを覚悟しなくてはならない。

ペトラ petra 世界遺産

 何といってもヨルダンではペトラである。ワディラムからまたデザートハイウェイを北に向かって約100kmマアーンの西北にペトラはある。ペトラ近郊の高台から見下ろすと小さなペトラの街と沢山の岩山ばかりが目に付くが世界遺産のペトラが何処なのかは全く分からない。あの岩山が狭くなっている所がペトラへの入り口です・・・と案内があった。

 ペトラは紀元前一世紀頃ナバティア人によって築かれた交易都市である。ナバティア人は地中海への隊商路を押さえ商才に長けた民族で土木技術や芸術にも優れていたといわれている。このナバティア人の末裔がベドウイン族と言われている。ナバティア人は巨大なキャラバンを組んでシルクロードを交易した。ペトラはギリシャ語で岩を意味しておりナバティア王国の首都として栄えたのである。ここではローマやアラビアの多くの商人が立ち寄りナバティア人は彼等を歓迎してもてなした・・・という。

 

 

ペトラ

 

 

ペトラ

 

 このペトラは1812年に発見されました。その面積は実に264平方kmもあり、ここは今から約2000年前に出来た。左右に70〜100mの岩山と岸壁がせまるシク・・・といわれる長〜い約2kmの谷間を行くと突然せまる岸壁の間から向こうに巨大な神殿が目に飛び込んでくる。このシクの両側の岸壁には多くの壁画が描かれていてラクダによる隊商の絵などがある。

 ここは年間雨量が150mmと少ない沙漠のために、水の供給を考えてダムや貯水地を造り、陶製の給水管で水をペトラの街まで運んだのである。この水利技術の跡が生々しくペトラへ入るシクの両サイドにのこっている。

 

ペトラ シク

 

 

ペトラ シク

 

 

ペトラ シク

 

 

ペトラ シク

 

 

ペトラ エルハズネ

 

 

ペトラ エルハズネ

 

  

 

ペトラ エルハズネ

 シクから突然目に飛び込んできた巨大な神殿がエル・ハズネとい言われている“ファラオの宝物殿”である。ここでは葬祭殿・・・と呼ばれている。エル・ハズネはその幅約30m高さは約43mあり岩を切り刻んで造られました。宝物殿と呼ばれていたのは建物の一番上乗っている壷の中に宝物が隠されている・・・と信じられていたからといわれている。このエル・ハズネの地下の穴蔵からは人の骨が出て来てこれは王の骨では・・・の説が強い。

 ここペトラには当時30,000人もの人たちが住んでいました。ここのきれいな土の色はいろいろな鉱物が含まれているためにこのようなきれいな色をしている。

 また、芸術面ではギリシアやローマの影響を大きく受けておりここでは独自のナバティア様式が確立してここに800以上・・・といわれている建物のかずかずが岩山に残されているのである。映画“インディージョーンズの最後の聖戦”の舞台となった岩山都市がここペトラである。

 

 

ペトラ

 

 

ペトラ

 

 

ペトラ

 

 

ペトラ ローマ劇場

 

岩をくり抜いて造られたペトラ ローマ劇場

 

 

ペトラ 北壁

 

 

ペトラ 宮殿の墓

 

 

 

ペトラ 大寺院

 

ペトラ 凱旋門 & 柱廊通り

 

 

エドディ−ルへの道

 

このペトラ遺跡の奥まった所にレストランがある。このレストランからまだ約1時間岩山を登りきるとエド・ディールと呼ばれている修道院跡がある。エド・ディールはその幅約50m、高さは約45mと先のエル・ハズネよりも大きく一世紀の半ば頃に建てられたナバタイ人の神殿である。ディールというのは修道院を表わしておりかってはこの近くに多くの修道士が住んでいた・・・という。

 しかしここまで登ってくる人はペトラを訪れる人たちの中でも本当に稀である。およそ5%くらいかそれ以下である。またこのエド・ディールからもう少し15分くらい登ると岩山の頂上に着く。ここからの眺めも素晴らしく岩山の真下向こうにはイスラエルの農場が開けているのが見おろせる。

 

 

エドディ−ル

 

 

 

 

エドディ−ル この山ノ下はイスラエルである

 

 

ペトラ列柱通りと北の壁

 

ペトラ北壁

 

 

ペトラ北壁

  

ペトラ水源に湧き出している泉

 ともかく本当に暑い中を朝の8時から午後4時頃までペトラ遺跡を歩き回っても遺跡の一部を見て廻ったに過ぎず、このペトラ遺跡はいまだにその10%くらいしか発掘されていない・・・と言われているのである。

 私はこのペトラが世界文化遺産の中でも一番ではないか・・・と考えております。

死海 dead Sea

 

標高ゼロメートルから死海を見下ろす

 

 ヨルダンとイスラエルの間の広がるヨルダン渓谷レバノン山脈から流れ出て来たヨルダン川この流れ着く所が死海である。ここはアンマンの南50kmのところにあり、その面積は920平方kmある。死海はその塩分濃度はじつに27%もあり水そのものがドロッとしていて、どのようなな金づちでもここでは浮き上がってしまう浮遊体験ができるのである。事実浅いところでもそこで立とうとしても立ち上がれないで足とお尻が浮き上がってしまうのである。死海はその成分が美容に良いとして知られており、いろいろな化粧品や入浴剤等が多く販売されています。死海は鉱物や塩分が多いため生物が全く住めない世界でもあります。

 

死海の浮遊体験

 

 

 

死海の浮遊体験

 

 

死海 パレスチナに沈む太陽

 又ここは地球上の陸地の中で一番標高が低く今は死海の水面はマイナス400mを越えているのでは・・・と言われております。またこの死海の向かい側はイスラエルとパレスチナでこの死海を前にホテルのプールサイドのバーから眺めるサンセットはビールの味とともに素晴らしいものでした。

ネボ山 Jabal Nebo

 死海の南東にある標高800mのネボ山、山の頂上にはフランシスコ修道会の教会が建っている。

 

 

ネボ山

 

 

フランシスコ修道会の教会

 

 

 

フランシスコ修道会の教会

この山の古い教会は紀元4〜6世紀頃に建てられたものであり、こここからは死海の北側にエルサレムが一望できる所でもある。ここは旧約聖書の世界であり、モーセ終焉の地でもある。ここにはモーセが埋葬されており、かれの死を後世に伝える十字架も残されている。

マダバ Madaba

 マダバはアンマンの南30kmのところにある。ここにある聖ジョ−ジ教会の礼拝堂の床に6世紀のパレスチナの地図が200万ピース以上のモザイクを使って描かれている。

 

 

 

 地図は既に崩れかかっている所も多いがこのパレスチナの地図から旧約聖書の世界を覗き見ることができるのである。

アンマン Anmman

 アンマン城アンマンの小高い山ジャバル・アル・カラー Jabal Al-Qala'aの上に青銅器時代から続いている要塞があり、その後ローマ時代に建てられたビザンチン教会跡や、ヘラクレス神殿跡が残っている。またこの丘から見下ろすときれいな街並と共にその中にロ−マ劇場も眺められる。

 

 

アンマン城塞のヘラクレス神殿

 

 

ヨルダンで最大のローマ劇場

 

アンマン市街

 アンマンを最後に Queen Alia Airport からエミレ−ツ航空でアラブ首長国連邦 UAE のドバイに立ち寄りこのモダーン都市で3日間 過ごしてから帰国致しました。

 Jordan 世界遺産 紀行

ご覧頂きまして有難うございました。

Syria〜Jordan の世界遺産編はこれで終わりです。

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